2014年。
湘南ベルマーレに大学から一人のゴールキーパーが加入する。
特に騒がれることはなくひっそりと。
この年のゴールキーパー陣は秋元陽太、阿部伸行、鈴木雄太。
梶川裕嗣は3番手。いやおそらく4番手だったのではないだろうか。
梶川のプロ生活は湘南ベルマーレで始まっている。
ある日の馬入と梶川裕嗣
あれは何年前のことだったか。ある日の馬入。セットプレーの練習でグラウンドに大きな声が響いていた。
「本当にそれでいいのか!?」「本当にその位置で?」
決まっていないのは壁の位置。ピッチに目を向けるとゴールマウスに立っているのは梶川裕嗣だった。
なかなか位置を決められない梶川。自分で納得させ決定するまでフリーキックを蹴らせないチョウ・キジェ。
緊張感のあるやりとりだった。
教えればいいじゃないかと思うかもしれない。ただ壁の位置というのは原則が決まっていて、あとはそこをどう微調整するかだ。
原則を知らないなんてことはありえない。ゴールキーパーコーチは名手斎藤誠一なのだから。足りないのは梶川が自分で決める勇気だけだった。
(梶川が自分の責任で、自分で決められるようにならなきゃ試合に出られる日はこないだろうな)
厳しいが彼が生き残るためには必要だと感じた。
2014年。2015年。湘南ベルマーレがJ2からJ1にステージを変えても梶川に出番は訪れなかった。
2016年。絶対的なレギュラーだった秋元陽太が移籍。しかしクラブは村山智彦とダンドウ・ベラピを獲得した。
(キーパーがうまくいかないと本当に苦しいな。二人のうちどちらかでもやれてくれるといいのだが)
その予感は的中した。
2016年。ベルマーレは苦境に立たされた。ゴールキーパーは固定できず、村山とベラピが交互に出るもどうにもうまくいかない状況だった。
それでも自分の中に梶川の頭はなかった。たまに見る練習試合などでも取り立てて良いパフォーマンスは見せていなかったからだ。
しかしシーズン終盤。ついに梶川に出番が訪れる。それはすでに降格が決まった後のホームゲーム。
ヴァンフォーレ甲府戦。世の中的には消化試合。しかしこれは梶川が掴んだ最初で最後のチャンスだった。
結果は・・・。
・・・。
・・・。
1-0で勝利。梶川は見事なパフォーマンスを見せた。
キーパーコーチの誠一さんの仕事に感心した。
そしてそれをしっかり見抜いていたチョウ・キジェにも。
ここから彼の人生は変わる。リーグ戦は残り1試合だったが天皇杯を勝ち残っていたのは彼に幸いした。
リーグ戦、天皇杯を合わせて3勝1敗。
あの日馬入で壁の位置を決められなかった梶川はもうどこにもいなかった。
2017年の年末。徳島ヴォルティスへ完全移籍の報。
徳島はよく見ている。たった4試合なのに。
長谷川はかなりのキーパーだから彼からポジションを取れるなら一気に展望がひらけるはずだ。
・・・。
・・・。
そのあとのことは僕なんかより徳島ヴォルティスのサポーターのほうがよく知っているだろう。
僕はあの長谷川徹が控えに回ったと知って「これでプロでも生き残っていけるだろう」と安心したのを覚えているくらいだ。
そこからの彼の歩みは見ていない。
しかし2019年。もっとも会いたくなかった形で彼と再会することになる。
それは最強の敵としてだった。
湘南ベルマーレのサポーターとして
久しぶりに見る姿。足元のうまさに驚いた。はっきり言って入団当初は足元はうまくなかった。自身がなさそうにすら見えた。
徳島のポゼッションサッカーが彼をここまで引き上げたのだろう。なにより守護神としてチームを守るその日々が。
彼が素晴らしい日々を送ってきたのは明白だった。
徳島でなければここまでの選手にはなれなかっただろう。高い位置からボールを配給されるたび、クリスランのヘディングを止められたとき。
何度そう思ったか。あの試合が終わった今だから言えるが、梶川は本当に良いチームを選んだ。徳島だからここまで来られたのだ。
・・・。
徳島だからここまで来られた。ただ湘南ベルマーレのサポーターとしてこれだけは言いたい。
梶川は誰にも知られずにサッカー界を引退する可能性は十分にあった。
それをさせなかったのは湘南だと。馬入での日々だと。そしてチョウ・キジェだと。
今梶川がJ1最強のクラブからオファーを受けるまでになったそのスタート地点。
それは斎藤誠一コーチと研鑽を積んだあの馬入での日々とそれを見逃さなかったチョウ・キジェの確かな目。
あの厳しい日々は必要だった。チョウ・キジェのあの指導は絶対に必要だったのだ。
彼が今プロとして立派にやっている。その原点はやはりあの日の馬入にあったのだ。